2010年08月

搬出

さて、いよいよ、である。

仕事を午後半休扱いにして一路金沢八景へ。いつもここに来ると気になっていた駅裏手の茅葺き農家2軒のうち1軒が全焼している、悲しい光景も目の当たりにしてしまったが、人を待たせているからじっくり見ていられない。燃え残りを横目に東急車輌へと急ぐ。京急の車両基地には、あれだけ当たり前にいた旧1000系の姿が無い。頭では分かっていても時代が変わってしまったんだ・・・と痛感せざるを得ないショックな光景だった。扉間1000mm窓3つの後期関東標準型がこれで終焉。東急デハ3450をその代表例のひとつとする、戦前からの流れを汲む800mm窓4つの関東標準型もまた、後を追うように新京成800の消滅で終焉を迎えてしまった。残る片開き扉の関東大手私鉄電車は京急800のみ。それもあと余命いくばくか、といったところだろうか。

工場に着いてしばし。守衛所の前で担当のFさんを待つ。既にみんな現車の前にいるらしい。それにしても暑い。旧海軍工廠の面影を色濃く留めた無骨な事務棟に通され、応接室でつめたいお茶をいただくが、それもそこそこに工場の奥の現車へと向かう。

既に先発隊は現車を取り巻き撮影にかかっている。それも結構な人数が周りを取り巻いていて、僕は完全に後発状態だ。貨物鉄道博物館のKさんがお見えになったと連絡があり、正門で合流の後、再び事務棟で小休止。やはり冷房の効いた事務棟は心地いいが、程々に辞して外に出ると既に台車の積み込みが始まっている。昔は見慣れた弓形ボールドウィン台車も、今の感覚からすればなんともゴツイ代物に映える。手慣れた感じでクレーンに吊られた台車は宙を舞い、トラックの荷台に収まった。それが済んだらいよいよ車体だ。

実はこの数日前に、最終下見と称して工場をお邪魔していて、その際に例の奥沢神社の交通安全お守りを1エンド側の運転台マスコンに掛けておいたのだが、Kさんが更にブレーキハンドルをお持ちで、ブレーキ弁に取付けた状態で記念写真をパチリ。やっぱり運転台にはブレーキハンドルが付くと電車が生きてる気がしていいもんだと思う。改めて旅立ちのお祝いと、輸送の安全祈願といったところ。

今回参加したみんなで記念撮影の後、巨大なラフタークレーンとトレーラーが入場、いよいよ吊上げ準備だ。

正門前に長尺の低床トレーラーが停まっていたから、台枠強度を気にしてこれで運ぶのかと思いきや、鉄道車輌輸送では普通に使われる、いわゆる仮台車トレーラーだ。そのまま運んでも大丈夫、と言う判断なのだろう。

まずは手前に置かれている伊豆急の台車を吊上げてどかした後、いよいよ吊上げが始まる。2台のラフターが車体の前後に付き、準備が始まる。吊上げはワイヤーを使うのかと思ったら、布製の吊りベルト、いわゆるスリングベルトという奴だ。多分車体だけでも30数トンあると思うが、ちょっとビックリ。そんなので大丈夫なんだ~と思う。

合図と共に車体が上がる。車体が宙を舞う・・・というほど上がらなくて、大体1mちょっとだろうか。台車に載ればいいんだからこんなもんなんだろう。車体に絡みついたツタが一緒にくっついていって、やがてあちこちでちぎれた。地面と同化し、土に還りつつあった電車が、電車として目覚めた瞬間のような気がした。

そして車体強度に危なげはない。大丈夫そうだ。参加者はみな一様に興奮気味。工場の方々も三々五々見送りに集まってきていた。

ゴムタイヤ台車に載り、ターンバックルで固定。そしてひとり残された伊豆急クモハ101に見送られ出発・・・ところがこの狭い空間に大きな電車なので、その道のプロの腕を以てしてもなかなか簡単に引き出せない。後ろにいるラフタークレーンを更に後退させて場所をつくり、ようやく直角に曲がって住み慣れた場所を出た。

参加者はみな電車に付き添うように歩みを進めていく。角を曲がると、脇にはこの電車にとってみれば曾孫のような東急5050、向こうには上田電鉄から里帰りした牽引電車の後釜7200がいる。

ここで一旦先程の応接室へ引上げて、荷物をまとめる。丁重に御礼をして、みんなで事務棟を辞し外へ出ると、既にデハ3499は正門近くまで移動していた。手前には静態保存されている「湯たんぽ」デハ5201と「弁当箱」デハ7052がいる。夕暮れ空に照らされて、文字通りの「門出」を見送る湯たんぽと出立せんとするデハ3499。もしかしたら本当に最後の顔合わせかも知れない、と思い、写真に収めたかったが既に撮影許可証を返納してしまったので撮影不可。目に焼き付けて工場を後にした。